足し算型タイムマシンと掛け算型タイムマシンで、過去に行く!

例のごとく思いついたこと/考えたことをひたすらDump Outする練習エントリ。
文章の途中で脱線し始めたり、結局何が言いたいんだ的な終わりになったりするやもしれませんが、文章を書く練習なので生暖かく見守ってくれると助かります。


あんなこといいな、できたらいいな、な事は何ですか?
などと質問すると絶対とは言わないけど、多分多くの人が、「昔に戻りたい」「過去を変えたい」「やり直したい」などと答えると思う。
かくいう自分もそんな一人。


なんだけど、過去には戻れない、と言われている。
というか、個人的には絶対無理だと思う。
もし戻れたとして様々なパラドクスはどうなるの?とか、そもそも現在に未来人がいないのが一番の証明ではないのか?とか。
色々。


もちろん、パラレルワールドの存在とか考えればその辺は回避できると思う。
つまり、過去に戻ったその瞬間に、その戻った地点で世界が分岐してしまう。
元々「いた」世界と、タイムマシンで「行った」世界とが分離してしまう。
そういう考えでいいのならばパラドクスは存在しないし、我々が今「いる」この世界に未来人がいなくても当然だ。
当然、別世界なわけだから結局「自分」の過去を変えることはできないし、別世界の「自分」に「対応する人」の過去が変わるだけ。
そういう意味では全く役に立たない*1タイムマシン。


そんな訳で常日頃からタイムマシンがあったとしたら、それは3次元+時間軸という4次元を行き来するマシンではなく、パラレルワールド軸、つまり第5軸をあわせた5次元を行き来するマシン、それも第5軸はかならず「ズレ」なくてはならない制限付きマシンだ、などと主張してきた。
し、これからもそう主張するつもりだ。


で、最近もしかして「過去に『行ける』」のではないかと思い始めた。掛け算的な意味で。
いや、「過去に行く」、という点だけを考えれば、「実際に」過去に行くことができる。
技術的には無理かもしれないけど、理論的にはいけるのでは、いや、いける。
つまり、我、過去に行く方法を見たり!ということだ。


多分。



...屁理屈、とか言われそうだけど、過去に行く方法。
まず、現状、というか現在一番一般的であろう意見を考えてみる。
世に言うアインシュタイン特殊相対性理論というもの。
ざっくばらんに説明*2すると「光速に近いぐらい高速で動くものは、1)伸びる、2)重くなる、3)ゆっくりしていってね!!!」ということ。
この「ゆっくりしていってね!!!」の結果、「未来に行く」ことができるわけだ。
つまり、光の速さに近づくにつれ、物体にとっての時間経過がゆっくりになるため、まわりと比べ「若い」まま「年取った世界」に向かうことができる。
これを浦島太郎の話に見立て、ウラシマ効果と呼んだりもする。
数式を出しておくと\Delta t' = {1 \over \sqrt{1-(\frac{v}{c})^2}}\Delta tという形で表される。
このとき、Δは「刻み幅」をあら合わしていて、tが止まっている物体の経過時間、t'が動いている物体の経過時間、vが物体の速度で、cが光速(=299792458m/s)である。
例えばv=0.99c、つまり光速の99%の速さで動いてる物体を考えると、\Delta t' = 7.09 \Delta tとなる。
この意味は、「止まっている物体での7.09秒が、動いている物体での1秒」ということとなる。
つまり、まわり(=止まっている物体)で7年経ったとしても、光速の99%の速さで動いている物体では1年ぐらいしか経っていない、ということになる。
これは何も理論の話だけではなく、実際多くの実験や観測によって起こることが確認されている。
そしてこの数式から分かる事として一つ、マイナスにはならない、ということが挙げられる。
言葉を変えれば、過去には戻れない、ということ。


さて、過去には戻れない、と書いたわけだが、ここから先は過去に行く方法を論ずる。
まぁ、奇人の戯言と思っていただければ、と思う。


まず、「足し算型タイムマシン」と「掛け算型タイムマシン」を考える。
エントリタイトルにも書いた単語だが、これは思いっきり造語である。
特に偉い方が決めた単語でもなければ、別段深い意味があるわけでもない。
まぁ、先を読めば理解してくれると思う。


「足し算型タイムマシン」は世に言う「普通の」タイムマシンだと思って欲しい。
多分誰もが直感で思い浮かべるアレだ。
ド○えもんのタ○ムベルトとかああいうの。
もちょっと、詳しく書いてみると、それでいて煙に巻くがごとく数字を出してみると、
 現在時刻を0として、時間の経過を+方向、その反対を-方向として、経過時間を+-で表す。
 すなわち、一つの例として2009/04/01 00:00:00 JSTを0とすると、2009/04/01 01:00:00 JSTは+1hであり、2008/04/01 00:00:00 JSTは-1yとかける。
 この時、+方向へ行くことを「未来に行く」といい、-方向へ行くことを「過去に行く」という。
といった感じだ。これをして「足し算型」とする。


さて、この「足し算型タイムマシン」であるが、非常に直感的かつ単純なわけだが、現在このタイムマシンは存在しないし、理論的にも存在しない。
というより、恐らく今後絶対現れることはない。
つまり、特別相対性理論の概念と合致しないのだ。
無論、このタイムマシンの機能を「未来方向」のみ、に限定したとしても、だ。
では現在「未来に行ける」とされている、(あくまで理論上の)タイムマシンとはなにか?
それが「掛け算型タイムマシン」だ。


何を以て掛け算とするのか?
ここに重要となるのが、未来/過去に行くために「どれだけ時間がかかるか?」だ。


今あるタイムマシン、つまり、特殊相対性理論に出てくる数式を、「足し算型タイムマシン」であると仮定する。
すると、例えば、光速の90%の速さで、移動している物体での時間で10分間、移動したとする。
これを計算すると、\Delta t' = 2.29 \Delta tとなり、結果、まわり(止まっている物体)では23分程度経過することとなる。
この差分、13分をして、+13分だけ「未来に移動した」と言うことができる。
さて、これは果たして正しいだろうか?
答えは否、足し算ではいけないのだ。


下にグラフを書いてみた。といってもグラフというにはあまりにシンプルすぎるのだが...。

下のグラフが「タイムマシンに乗らなかった」時の時間経過、上のグラフが「タイムマシンに乗った」時の時間経過を表す。
ちと矢印の書き方をミスった*3気がしないでもないが、ともかくとして、どうしてもタイムマシンというとこういう移動を考えてしまいがちだ。


さて、正しい解釈は?といえば、当然

こうだ。
これは単純に先の式にv=0.9cを代入しただけどグラフだ。
10分間掛けて23分先に未来に行った。
元の流れ、10分後は10分後、との差分13分が「ズレ」た時間。
と読むことが出来る。


この二つの違いは何であろうか?もちろん、式の解釈であるとか、時間を渡るのに掛かる時間の有無だとか、そういう違いを挙げればキリがないだが、一番直感的に悩ませる問題が「反対」という考えだ。
人間というのはつい「反対」という物を意識的/無意識的に考えてしまう生き物だ。
某友人などは「辛い」の反対は「甘い」じゃなくて「苦い」だ、などと主張しているが、それはともかくとして、「反対」というのは非常に哲学的でそれでいて悪魔的だ。
反対が存在する/しない、の議論から始まって、直感的な反対、感覚的な反対、意味的な反対、習慣/社会的な反対。
或いは反対の対称性や三竦み的な反対...。
非常に煩わしい問題を多くはらんでいる。
にも関わらず、つい非常に軽々しく、軽率に、単純に「反対」などと言うもの言葉を口にしてしまう。


つい、想像してしまう「反対」、今回のケースなら「未来に行く」の反対は「過去に行く」だ。
「未来に行けるなら過去に行けるはずだ」と思うのは人間誰しも。
そして想像する「過去への移動」はこのようなものになってしまう。

xこれはもちろん、「足し算型タイムマシン」では十分正しい。
しかし、そもそもの「足し算型タイムマシン」が正しくない、存在しないことから、正しくないことが分かる。


世に存在する「掛け算型タイムマシン」、つまり相対性理論なタイムマシンでの過去へ移動はこうなる。

ここで注目して欲しいのは「掛け算型」では決してグラフが0より小さくなることはない。
つまり、「現在(=0)」よりも「過去に戻る(=小さくなる)」ことはない、ということだ。
にもかかわらず、これは確かに「過去に行く」ことができる。
すなわち、10分間掛けて4分先に未来にいく、ということは、10分後に10分後となる「元の流れ」と比べると、6分程度時間のズレが生まれる。
それも、先ほどとは反対に「元の流れ」の方が先に進むことから、これをして「過去へ行った」と表現することが出来る。


「なぜ未来には行けるのに過去には戻れないのか?」
という疑問は「足し引き算」で考えてしまうからいけない。
あくまで時間は流れる、そしてその流れをゴムがごとく伸ばしたり縮めたり掛け割り算的オペレーションのみを行う(間違ってもそのゴムを折り返したり切ったりしない!!!時間は連続なのだ)ことが、すくなくとも、現代物理学でのタイムマシンである。


さて、この「掛け算型タイムマシン」。
やや直感とずれているので一言補足すると、いわば「精神と時の部屋」の様なモノだ。
一般的なタイムマシンのイメージを捨てて想像して欲しい。
冒頭でウラシマ効果という名前を挙げたが、浦島太郎を例に「掛け算型タイムマシン」を考えるとこうなる。
「未来へ行く」のはもとの物語と同様だ。竜宮城での数日が外の世界では数百年であった。というもの。
個人的には「あんまり」な結末な気がするが、ここではとりあえず私情は置いておこう。
一方「過去へ行く」物語はその反対なので...。
浦島は竜宮城で何年もの間宴会を楽しんだ。ところが村へ帰ってもそらは高々数日の出来事であった。
おお、なんともハッピーなエンドだ。とはいえ周りの人間と比べると早く老け込むわけだからやはり考え物である。
やはり自分の大事な人らと共に一緒に老いていくのが一番幸せなのではないだろうか...。


じゃない、結論を間違えた。
「過去に行く」ことはできても「過去に戻る」ことは出来ない「掛け算型タイムマシン」。
過去を変えられないとしたら何の役に立つのであろう?
などと思わないで欲しい。
実はこれにだってちゃんとした応用はいくつもあって、例えば「未来へ行く」タイムマシンはタイムマシンの中の時間を遅くすることが出来る。
これを以て例えば食品や歴史的な資料など劣化させたくないものを保存することが出来るわけだし、一方で「過去へ行く」タイムマシンは時間の流れを速くすることができる。
これは例えば短期間で野菜を作ったり、あるいは経年による物質の変化などの実験に使うことが出来る。
「未来に行ける」と思わないで欲しい。
当然「過去に行ける」とも思わないで欲しい。
「未来に行ける」のではなく「早く未来に行ける」だけなのだ。
「過去に行ける」ことは決してない。「遅く未来に行く」ことなら可能かもしれない。


結局今という時間は二度と巡ることはない。
今、という時間を、大事にして欲しい*4

*1:もちろん考古学的な、とか別立場で考えれば十分意味がある、というか世紀の大発明になるはず。

*2:一時期は好きで調べてたこともあるんだけど最近はさっぱりなので間違ってるかも。間違ってたらごめん。

*3:そもそも軸が何を表しているか明記してないのでグラフ自体が謎、という話も。それぞれの系で横軸分の時間経過したときの、静止系における時間経過、が縦軸かな?まぁ、雰囲気で読み取ってください。

*4:と綺麗にまとめた、と思っている、筆者自身が一番時間を無駄にしているというね...。