宝くじを当てる3の方法

普通こういったものは"10"の方法であることが多いが、残念ながら私の知っている方法は3しかないので勘弁願いたい。
しかしだ、考えてみて欲しい。
選択肢が多いことは必ずしもよいことではないのだ。
君が友人と勉強をしているときに、「二つまで選択肢を絞り込めたのだけど」というのと「八つまで選択肢を絞り込めたのだけど」というのでは、当然二つまで絞り込めた方がいいにきまってる。
むしろ八つというのはほとんど分からない、というのと同義だ。
そういった意味で、今日この瞬間からぜひとも考え方を改めてほしい。


さて、本題にうつろう。
宝くじというものは当てることに意味のあるものである。
反論を試みようとする人がいるやもしれぬが、これは真理であり、定理だ。
とはいえ、そうそう当たるもでないことも事実である。


さて、私はその宝くじを当てる3つの方法を知っている。
しかしながら、私は宝くじを当てることに意義を感じる人間ではないのだ。
その一方で、これらの知識がこのまま朽ちていくのは非常にもったいないことであるとも思っている。
知識というものは人類がもちうる最大の武器であり、美徳であり、そして存在意義その物であるのだ。
そこで、私は今日、この文章を読むすべての人間に、私の知りうるすべての宝くじを当てる方法をお教えしよう。
それは非常に光栄なことであり、感謝すべきことであることを理解していただきたい。

1000万枚の宝くじを買う。

これは100%、宝くじを当てることのできる方法だ。
ここで特筆するべきことはこの100%という数字は統計学でいう100%でなく、数学、確率論的な100%であり、また、切り上げ、四捨五入でもないのだ。
1000万という数字はジャンボ宝くじに関する数字であり、他のくじでは多少の上下が許されるだろう。


ここで、間違ってはいけないのは一度に1000万枚買うということ。
例えば、2回の抽選でそれぞれ500万枚ずつ買えば2回の当選を手にすることができるかもしれない。
しかしだ、それは同時に、2回とも当たらない可能性をも孕んでいるということだ。


一方で、君が一等にこだわるのでなければ500万枚でも確実に当てる方法はある。
連番でなく、奇数ないし偶数番号のみを買えばよい。
そうすれば1等、そうでなくば前後賞x2、そのどちらかは必ず当たるのだ。


もっとも、日本での払い戻し率は50%を越えることはないし、諸外国に於いても100%を越えることはない。

擬似当選

先ほどの方法は莫大な資本が必要となるし、一般人にはやや難しい方法であると言わざる得ない。
そこでだ、ここにもう一つのーーそれでいて一切の資本を必要としないーー方法がある
それがこの擬似当選だ。
その名とおり、「当たったことにする」方法だ。
だからと言って自己満足ではなく、まわりの人間を含めて君が宝くじを当たった「ことにしてしまう」のだ。


さて、方法だが、いたって簡単だ。
君の友人のうち1000万人にそれぞれ「私はXX組のXXXXXX」の宝くじを買った、と言って回るのだ。
もし君が1000万人の友人をもたない寂しい人間だとしたら10枚、20枚買ったことにして、その分だけ人数を除算してかまわない。
あるいは、当選確立を下げてもよいというのならその分も含めても構わない。
これは前述方法と比べ資本を使わないため何度でもできる。
わけることにことによってなんら不具合はないのだ。


そして、君は当選する。
いや、君が口にした番号が当選する、と言った方がいいかもしれない。
そして君は言うのだ「当たった」と。
君の友人のうちの一人も証言してくれるだろう「彼はたしかにその組・番号を買ったと言っていた」と。
あとは人の噂というものは勝手に広がっていく。
一週間としないうちに君は当選者として扱われるに違いない。


もっとも、当選金は入らないし、その週のうちは金品をたかられ、翌週にはみごと狼少年の仲間入りを果たすことになるだろう。

ラプラスの魔を使う

さて、上記の二つの方法を眺め、落胆した方は少なくないであろう。
いや、むしろ、落胆せずに喜んでいる者がいたら、おそらくその者はこの方法を試すのに充分賢くないであろうので、この方法は見ずに上記の二つを試していただきたい。
この方法こそが私が真であると考えている方法であり、そして、大いなる富と名声を与えるものであると信じている。


さて、ラプラスの魔であるが、ご存知でない方も多かろう。
説明を加えておかなければなるまい。


例えばの話、いまここに一つの林檎ないし檸檬があると仮定しよう。
この果物を君は目の高さまで持ち上げた。
そして、手を放す。
どうなるか?決してクイズでもなければナンセンスでもない。
君の常識と経験、知識を以って答えていただければよい。無駄に「ひねる」必要もない。
そう、「落ちる」。
それが正解だ。


では、再び質問だ。
その果物はいつ、どの角度で、どこにぶつかるであろうか?
学のある者は"-gt^2"という数式を持ち出すだろうし、現実主義者は時計を片手に実際にその果物を床に落とすだろう。
あるいは、「どうせ落ちるのだからWHENだとかWHEREなどという質問は愚問である」と言うかもしれない。
目の高さを1.5mとすれば、それをおよそ10で除算して根をとったもの、すなわち0.4秒後ぐらいに、放すときに力が加わらなければそのままの角度で、そして、おそらく鉛直真下の床にぶつかり、そして君は母に怒られることとなるだろう。
いや、もと正確に、というのならば10の代わりに9.8を使えばよい。
もっとというのならばさらにだ。
そのように言えば、学のある者は反論するであろう、「空気抵抗を考えなければならない」「放すときに外力が加わるやもしれぬ」「風は吹いていないのか?」「林檎なのか檸檬なのかをはっきりしなければならない」あるいは「私の母は林檎を落としても叱らない」など。
そうなればそれらすべてを調べればいい。
その場にあるすべての空気の、もっと正確には窒素や酸素などの、ありとあらゆるすべての分子、いや、原子、あるいは素粒子レベルで調べ、結果に反映させればよい。
もし外惑星の重力が影響を与えるかもしれぬと思ったならばそれも加えよう。
そうすれば一寸も違うことのない、完全完璧な、いわば「予知」ができるはずだ。


そして、それこそがラプラスの魔である。
すなわちこの世のありとあらゆるモノの位置と速度、あるいは質量、内包エネルギーなど7次元ないしそれ以上の超高次の情報を瞬時のうちに把握し、そして、それらの情報を用いて計算し尽すことができる存在のことである。
瞬時というのは刹那もかからぬ時間のことである。
これは至って重要なことであり、もし把握に時間かかればその間のズレが結果に壊滅的な間違いを引き起こすだろう。
あるいは、そのズレを何らかの方法で補正することは一つの解決策可も知れない。
また、計算は充分速くなければならない。
なぜならば1秒後を「予知」するのに1秒以上かかっていたらそれは「予知」とは呼べないだろう。


これらの条件をみたし、未来を予知するラプラスの魔
このラプラスの魔にかかれば宝くじの当選番号など、今日の晩ご飯の献立をあてるのと同じぐらいたやすくできるのだ。
人間の意志だとか考えだとかはまったく問題にならない。
すべての人間のニューロンの結合の仕方や電位など、すべて把握していればいいのだ。
これは予想ではない、理論上100%の精度を誇る予測であり、予知である。
あとは君はその当選番号を探し歩けばよい。
君が毎朝前を通る売り場になければ隣町の売り場も探してみよう。
あるいはラプラスの魔に頼んであたりくじがとこへ配られるか予知してもいいだろう。
いずれにせよ、高々数百円程度の出費で君はピンポイントに当選することができるのだ。


え、なに?ラプラスの魔に君が当選するかを聞いたら答えはNoだったが、それでも当たるのか、って?
いやいや、そういうことはラプラスの魔の予知をフィードバックするとよくあることなのだ。
宝くじに当たりたければ細かいことを気にしてはならない。
矛盾だのパラドックスだのは考えなければ無いも同じようなものだ。


そうそう、是非ともこの機会に「自分のラプラスの魔」を探すことをおすすめする。
中にはたちの悪い魔もいる。
路頭に迷った占い師並の予知ーーつまり、まったくのでたらめーーしかできない魔もいれば、未来を知っておきながら嘘を伝える魔。
こういった魔を信じていると、いざと言うときに役に立たない。


私がひいきにしているラプラスの魔は非常に精度が高いことで有名だ。
その魔は常に悪いこと、それも生死に関わるようなを予知してくれる。
例えばこの前私が得た「予知」は次の様なものだった。
つまり、私がある路地にいけばそこにいた男は突発的に私を刺すであろうということと、その路地にいかなければ通り魔事件は起きないということ。
そしてもちろん、私はその路地を避け、当然私は刺されることもなく、通り魔事件も起きることは無かった。
私はこのラプラスの魔が言ってきたすべてのこと、つまり「死ぬ」と言われたことをすべて避けて生きてきた。
そして、今なお、私は生きている。
私の生、それが「私の魔」が正しいことの証明なのだ。
まさに悪魔の証明


さて、どうだろうか?
参考になっただろうか?
ラプラスの魔は非常に有用なものだ、ぜひともいい魔と巡り会っていただきたい。







注)このエントリはネタです。このエントリを呼んだことによって何らかの不利益が起きたとしても、筆者は一切の責任を負いかねます。あ、利益が生じたら俺のおかげということで。